経営再建中の日産自動車が、国内で主力の追浜(おっぱま)工場(神奈川県横須賀市)と子会社「日産車体」湘南工場(同県平塚市)について閉鎖を含めて検討していることが明らかになって以降、工場を抱える地元は大きな不安で揺れている。2工場では5000人以上が働き、日産と取引する地場企業も多い。日産側は国内外で「7工場の閉鎖」を表明しているが、国内で名前が挙がっているのは神奈川の2工場のみ。創業の地の住民らは固唾(かたず)をのんで行方を見守っている。 追浜工場の閉鎖検討が大きく報じられ、1週間がたった24日。工場では昼休憩で出入りする従業員の姿が見られた。40年以上勤務してきた男性従業員(62)は「閉鎖の案は職場で知る前に報道に流れている。寂しい気持ちもある」とつぶやいた。「閉鎖になったらどこの工場に行けばいいのか」と不安を漏らす同僚もいるという。 「閉鎖検討」が報道された直後の19日、記者会見した横須賀市の上地克明市長は険しい口調で語った。「追浜工場は60年の歴史があり、横須賀市内で最も大きい工場だ。当然、市内に住む従業員や家族も多数いる。いろいろな情報が飛び交うが、情報収集に努めたい」 追浜工場は1961年に創立。ブルーバードやキューブなど人気車種をはじめ、同社初となる電気自動車リーフを製造してきた歴史がある。約170万平方メートルの広大な敷地にはテストコースや車を輸送する専用船が停泊できるふ頭も設けられており、約3900人が勤務する。日産は横浜市に本社を構え、追浜工場はお膝元の主力工場として存在感を示し続けてきた。 「日産の街」とも言える追浜地区では、従業員以外の住民にも不安が広がる。 「閉鎖検討を知った時は『えっ』と声を出すくらいショックを受けた」。追浜工場に近い弁当店「日本亭追浜店」の岩渕則彦店長(59)は驚きを隠さない。月1、2回は工場からまとめ買いの注文が入る。近くには日産社員寮もあり、「切に閉鎖してほしくない」と願う。 工場の近くで暮らす80代女性は「地元だから愛着がある」と60年前から家族で日産車を乗り継いだという。「ナンバーを2355(日産ゴーゴー)にしたこともあった」と懐かしむ。「工場が閉鎖されれば街に活気がなくなり、若い人も減ってしまうのでは。とにかく残ってほしい」と祈るように話した。 揺れているのは日産車体の湘南工場がある平塚市も同じだ。商用バンなどを製造し、約1600人が勤務する。 市内の塗料販売会社「モトヨシ」の元吉英雄会長は、日産車体に50年以上溶剤などを納入している。「日産車体は技術力も高く、見習えと言われてきたほどだった。寂しい限りだ」と肩を落とす。閉鎖になれば「もちろん影響は避けられない」と話した。 平塚商工会議所の常盤卓嗣会頭は、日産車体について「戦後復興を担い、今も地元の七夕まつりや花火大会を支える平塚を代表する会社だ。事実であれば残念」と話す。下請けや孫請けの会社への影響を抑えるため、金融機関などと救済策を協議することも視野に入れているという。 「まだ決まっていないなら、2工場の閉鎖を取りやめてもらいたい」。23日に日産自動車のイバン・エスピノーサ社長と県庁で面会した神奈川県の黒岩祐治知事は、強く求めた。エスピノーサ社長は明確な回答を避け、具体的な計画などが決まった段階で「地元自治体と情報共有したい」と述べるにとどまった。 エスピノーサ社長は、大まかな「構造改革のスケジュール」を「今月末までに話せるようになる」とも伝えたという。数々の名車を送り出してきた創業地の生産拠点はどうなるのか。今後の成り行きが注目される。【福沢光一、澤圭一郎、矢野大輝、蓬田正志】
コメント 10件
たまたま近くの、日産だってだけで他の企業の撤退とかある街もあるから仕方ないと思う。今まで黙って下向いて働いてても日産工場があるから人が来るとか、各々の企業努力してなかったところがこの先困るんだろうね。自分の住んでる町は富士フイルムが、全盛期の頃からの現在縮小になって、それなりに、努力してない店は閉めるか、細々とやってるかだから可哀想だけど今のうちから何らかの対策は必要だと思う。
追浜、平塚も大変ですが、テクニカルセンターのある厚木は開発部門であるにも関わらず派遣切り請負切りが始まっています。殆どが3ヶ月毎の契約ですが、基本的に更新をしない、或いは徐々にゼロ化することが方針として決定しているようです。こうした協力会社の社員が消える事は各地域のミクロ経済には大打撃です。 因みに開発部門では協力業者を切って、その仕事を社員でやれと言いながら社員は残業ゼロ制限だそうです。 開発には先進性は勿論ですが、安全や品質を担保するためにも絶対必要な工数はあるはずなのに… 日産は本当に大丈夫なのでしょうか…
関係会社のマレリも買収か、倒産かの憂き目です。日産の受注が減ったからとか。 マレリの本社も、日産同様、売却して賃貸でしたが、家賃も厳しくなり、しまむら旧本社に移動、凋落が酷かったとか。それでもレーシングスポンサーなどして、本業以外に資金を使って。 日産も同様になるかの瀬戸際。リストラも、資産売却も、とことん実施して、サッカー、野球、銀座ギャラリーなどは売るべきでしょうね。
昔日産車体(湘南工場)に派遣で行ったことがありました やはり周辺は活気に溢れておりました 巨大な工場がなくなると周辺住民は寂しい感じになるのではないでしょうか 正直日産があるから周辺に飲食店やスーパーやコンビニがたくさんあったのかもしれません 日産がなくなれば周辺にあった飲食店やスーパーやコンビニの数も一気に減るかもしれません そうなると更に周辺住民は寂しさを感じるかもしれません
売れる車がなくなっている状況を認識せずに過剰な設備投資を行なっての当然の帰結の経営悪化。 人員削減、工場閉鎖だけでは乗り切れないのではと想像します。 トヨタのようにハイブリッドに軸足を置くと言わないまでもEVにほぼ全振りした影響は後々まで影響すると思う。 ホンダ提案の子会社化を嫌い統合は決裂したが、経営陣を刷新し三菱を含めて再度統合する道を探るしかないのではないか。 日産米国工場の稼働状況が芳しくない中、トランプ関税によりホンダにも統合メリットが生じつつあるとも感じます。 経営悪化の原因は多数あるが一番は最初に記載した魅力がある売れる車が無くなった事が起因だと思う。
代々、我が家では日産を乗り継いでいたらしいですが、ディーラーとの修理トラブルで疎遠になっていたようです。 私はちょうどゴーン氏の就任付近で車に乗り始めましたが、そのあたりは欧州車好きな方に評価が高かったですよね。カー雑誌にももてはやされてましたような気がします。私は個人的にはそれ以前の日産が好きですが、最近の日産が好きな方もいますよね。 致命的なのは、車種の精算と、モデルチェンジのサイクルの長さかと思います。あんなに人気だったキューブの後釜が無かったり、シエンタクラスがなかったり。軽ならスズキもありますから。 日産が華やかだったらもっとクルマが楽しくなるはず、復活してほしい!
こんな状況になると地域社会にものすごい影響が出てくるでしょう。どうしても出てくるのが経済的な問題です。従業員の家族の問題も大きいはずです。就学児童たちの今後の状況も図りきれない程の不安でしょう。 なんとしても従業員たちの今後の雇用に関して日産はもちろんですが行政においても出来るだけのサポートはしていただければと思います。
ルノーと提携してから車のデザインが変わってしまった。一昔前の栄光は影も形も無い。先ずは人々を惹きつけるデザインなんだよ。中身も確かに大事だけど、インパクトはデザインなんだよ。昔の日産はデザインがスポーツ系、セダン系どれも格好よかったんだよ。日産車の中だけで十分な選択肢があったんだよな…。
自治から見たら雇用の問題より税収の方が大問題です。法人税は本社の所在地だけに納める訳では無く、その地域の従業員の割合で各自治へ納めます。工場は従業員が多いので自治にとっては美味しいのです。それに比べ巨大企業が巨大な物流センターを作っても現代の物流センターは自動化・ロボット化が進み建屋の広さに比べて人は少ないです。当然、工場に比べて税収は美味しくありません
7工場はあくまで車両工場でパワトレは別途整理するという会見でのコメントだったからいわきと横浜工場も間違いなく何らかあるだろう。 昔から日産は生産拠点が国内に散らばり過ぎという指摘があったことを踏まえるといわきの閉鎖は避けられない気がする。栃木の縮小が前兆。 横浜はパワトレ拠点として残す可能性はあるかな。
引用: https://news.yahoo.co.jp/articles/7e0e32a21537d1b67a64656d5aaed7738bd46f68
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