フロリダの春だというのに、その部屋は肌寒かった。そして、静まり返っていた。 4月8日、私はフロリダ州ライフォードにあるフロリダ州立刑務所で、死刑執行室に隣接する小さな部屋の最後列に座っていた。25年前に地元の有力紙マイアミ・ヘラルドの従業員ジャネット・アコスタ(当時49)を殺害した、マイケル・アンソニー・タンジ(48)の死刑執行を見届けるためだ。 部屋にはほかに23人の立会人がいた。アコスタの妹ジュリー・アンドルーと、その娘(アコスタにとっては姪)のジェニファー・バンダーウィアーもいる。 誰も言葉を発さず、エアコンのうなる音だけが低く響いていた。執行室との間にある大きなガラス窓にはカーテンがかかっている。やがてそのカーテンが上がると、担架にくくりつけられたタンジが見えた。体には特大のシーツがかけられている。 タンジは一瞬顔を上げて、ガラス越しにこちらを見た。死刑執行チームを監督する刑務官が電話を取り、ロン・デサンティス州知事から執行停止の指示がなかったか最終確認をする。指示はなかった。 これに先立ち、タンジは「最後の食事」をした。本人が希望した献立が用意されるのが慣例で、タンジはフライドポークチョップ、ベーコン、ベークドポテト、トウモロコシ、アイスクリーム、チョコレートバー、炭酸飲料を希望したという。 刑務所の外では、50人ほどの活動家が抗議の声を上げていた。アメリカでは、死刑制度の存廃は州によって異なる。フロリダ州は死刑制度を維持しており、タンジで今年3件目の執行となる。全米では11件目だ。 「マイケル(タンジ)も神がおつくりになった」と、ある死刑反対論者は言った。「彼も私と同じく神に愛されている。その命の終わりを決めるのは、人間であってはならない」 「死刑の代替策を求めるフロリダ州民」という団体は、「死刑は正義ではない」とする声明を発表した。それなのに州は「死刑が正義を実現する最善かつ唯一の方法だと、遺族をだましている」という。タンジは2歳の時から両親の虐待を受けていたのであり、「心身共に傷ついた男を捕まえて、担架にくくりつけ、意図的に殺すことは正義ではない。明らかな復讐だ」と批判する。
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日本国内でも同じ事が言えるが、制度に反対する団体は国や執行機関などの何も言えない部署に一方的に意見を押しつけるのではなく、遺族と直接対話してみてはどうだろうか? 団体の身勝手極まりない理屈が、遺族にまで届くのか、試してみればいい。
執行は一般市民なんですね。 お金の為?それにしてもメンタル強いと思いました。私は出来ません。 死刑執行は、今まで牢屋に収監されていた人が任期を終えて外に出る時『再犯したらお前もこうなるぞ』って脅しじゃないけど、特に女性がからむ殺人や誰でもいい殺人をした人にボタンを押してもらえば、犯罪の抑止力にもなるんじゃないかと思いました。
改めて死刑は必要だと思う。 何の落ち度もなく残虐に殺された被害者と被害者遺族の気持ちを無視できない。 犯行後にどんな反省の言葉を並べられても虚言にしか聞こえない。 刑が執行されても、被害者遺族は納得できるものではない。 それでも悲しみを乗り越えて前進していかなければならない。 そのことを踏まえても、冤罪の可能性がなければ即執行が望ましい。 被害者遺族の早期立ち直りも考慮しなければ。 例外は、理不尽なことでの親の仇討ちであるとか、日本でもあった高田馬場ライバー殺人事件など、加害者でも十分な情状酌量の余地がある場合など。
その命の終わりを決めるのは、人間であってはならない これそのまんま死刑囚に言ってやれや? そもそもその教えをなんとも思ってないからこのような犯罪を犯すわけで クリスチャンでもなんでもないでしょ。別に全人類がキリストを信じてるわけでもないし、法は人間が作ってるんだしそれを否定するということは人間を否定することではないのかな?まあ誰かを非難しても死刑がなくなるわけでなし、なくしたいなら粛々と法律変えていくしかないと思うがね。 数強できょう赤生犯罪がなくなるとは思わんけど。
「その命の終わりを決めるのは人間であってはならない」ある死刑廃止論者の言葉だという事だが……なんと形容したらよいのかわからなくなる。 見境なく人を殺めた事の結果としてその罪を償う刑罰が死刑という決定であるのに、神がその死刑囚の寿命が尽きるまで見守れと仰っていると発言しているのと同じ事。 死刑囚であっても人間なのだから自由を奪って監禁していても命は奪ってはならないなんて事が通るならば世の中に絶対に人の手では処罰されない「名前だけの死刑囚」が溢れかえってしまう。
死刑は残酷ではあるが、同時にこの男がやったことを鑑みれば死刑になって当然とも言える。家族を死刑よりももっと残酷な方法で無惨に殺されて、その犯人がまだ生きているのは遺族からすれば生き地獄だろう。 死刑反対論者は、自分の家族が殺されても同じことを主張できるだろうか。 どうして加害者の人権を守るために被害者の遺族が苦しみ続けなければいけないのか。
強制的な死が無い社会は素晴らしいだろうと思う。 しかし、犯罪は無くならないし、戦争も無くならない。 死刑の無い国はあっても、人間が感情を持つ動物である限り、この世から強制的な死が無くなることはないんだろうと思う。
執行する刑務官の方々は凄いストレスの様ですから、「身分秘匿で報酬をもらった希望者」にボタンを押してもらうのは、いいかもしれません。
ある死刑反対論者は言った。「彼も私と同じく神に愛されている。その命の終わりを決めるのは、人間であってはならない」 では、被害者はどうだっただろうか? 死刑囚がそもそも被害者の命の終わりを決めたのではないのか? 反対論者の弁は、根本的に理論が破綻している。被害者とその遺族を差し置いてなかったことにしている偽善者としか思えない。
被害者の死を決めたのは加害者だ。 死を決めるのは人であってならない? 加害者が身勝手に決めたのであれば、加害者は人ではなくなんなんでしょうね? 死刑制度は、重い犯罪にはやはり必要ではあるでしょう。
引用: https://news.yahoo.co.jp/articles/69b798e255fff0a559028398851b8fed8c9ad33b
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