「教育格差」や「体験格差」が話題となっている。所得や学歴が高い親は、子どもの「勉強」と「体験」に時間を費やし、大学へ行くための経済的な支援ができる。一方で、低所得世帯や生活保護受給世帯などは、子どもに割ける経済的・時間的な余裕が少ないため、そこに格差が生じるのだ。では具体的に、どのような問題が起こっているのだろうか。※本稿は、ヒオカ『人生は生い立ちが8割 見えない貧困は連鎖する』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。 ● 「ズルい」「贅沢だ」で 切り捨てられるもの 貧困支援に関する報道への反応を見ていると、直接自分に不利益がなくても、支援されるのは贅沢だ、ズルいというニュアンスの反発がある。 ここ最近、子どもの「体験格差」をメディアが取り上げ、問題提起される機会も増えた。教育格差の解消に取り組む公益社団法人チャンス・フォー・チルドレンの調査では、世帯年収300万円未満の家庭の子どもの約3人に1人が、1年を通じて「学校外の体験活動を何もしていない」という。 直近1年で学校外の体験がない子どもの割合は世帯年収300〜599万円だと20.2%、600万円以上だと11.3%と、家庭の所得が子どもの体験の差に如実に表れている。(注1) 慶應義塾大学総合政策学部教授の中室牧子氏は、 「最近では、親の所得や学歴が子どもの教育の質に影響を及ぼす“教育格差”の認知度が上がっていますが、親が子どもに割く『時間』に格差が生じている事実は、あまり知られていません。体験格差は、親が子どものさまざまな体験のために割ける時間の格差ともいえます」 「体験に関するものは、母親が子どもの『勉強』に投資する時間(本の読み聞かせや宿題の手伝いなど)と、『体験』に投資する時間(お絵かきや屋外での運動など)の2つに分けて、かけた時間を計測しています。多くの国で調査が行われており、それらの結果によると、所得や学歴が高い親は『勉強』と『体験』に、多くの時間を割いていることがわかりました(注2)」と述べている。 しかし、貧困によって塾や習い事、部活動さえできない子どもがいる現状を伝えると、よく「贅沢だ」という主旨のコメントがつく。 家庭の所得によって、塾や部活、習い事ができない、修学旅行に行けない、といった格差について、「かわいそうだとは思うが、支援を受けるのはおかしい」「お金がないのに○○したいは贅沢だ」という声が多かった。 学歴のように将来の所得に直結するというわかりやすい数字の根拠がなく、体験の乏しさが与える影響が目に見える形で明らかになっていないからこそ、将来の所得に直結しない(ように見える)体験を求めるのは、ただの「贅沢」という扱いになってしまうのだと思う。 ● 野球部は経済的に余裕のある 家庭しか所属できない? 以前、とある生徒の部活に関する記事で、野球部の道具代や遠征代が高く、続けさせるのが厳しいという親の声が取り上げられたことがあった。野球部はもはや経済的に余裕のある家庭しか所属できなくなっているという内容だった。 これに対して、ヤフーニュースの上位のコメントは「お金がかかるのは当たり前。野球などお金のかかる部活は贅沢だ」「お金がないなら選択肢が限られるのは当然」といったものだった。
コメント 10件
本当にお金に困って子供にいろんな体験をさせていない親がどのくらいいるんだろう? 夏休みに限らず地域でお金をかけずに体験できることは複数あると思うので親が調べてまでさせる気がないだけかも知れない。 そもそも所得が低い世帯でも体験をしていない子供が2割なら残りの8割近くの子供たちは体験できているし多いと感じます。 運動会も午前中に終わったり家庭訪問もしなくなったり学校行事は縮小されてきているんだし修学旅行もやめればいいと思う。旅行に行かず日帰りで地元地域で体験したり学習すればいい。
難しいね。今の都内の子育てなんかは本当に色々求められる。親の所得、親の職業、住むエリア、進学先、お稽古ごと、体験、さらには親の時間ときたか。 結局深く考える人ほど子供の末長い幸せを願うばかりに子供を持つことに否定的になるんですよね。母親も高学歴で高所得だから仕事も続けたいし、じゃあもう子なしでいいんじゃないか、産んでも一人でいいんじゃないかって。反して高校も行かずに若くしてずーーっと出産し続けている大家族のお母さんみたいなのもいるんだけど…そこにガンガン経済支援するのも微妙だけどね。
うちの地域では昭和の時代はトップクラスの進学校レベルの高専、商業科がありその下の工業科、商業科もありましたが今はどちらも人気がなくて統廃合、レベルはだだ下がりです。 大学に進学しなくても就職できるように高等教育の充実にお金を使ってほしいと思います。
よく「大卒じゃないと生涯年収が段違いで変わってくる」みたいに言われるけど、私立のFランに何百万も払って4年も通って何十年もかけて奨学金返すのって、本当に費用対効果あるのかな?って思う。大学に払う学費だけじゃなくて、大学って教科書代や実習費もかかる。私はバスと電車の定期代も痛かった。 更に高校中学、なんなら小学校から散々塾に通って百万単位の塾代もかかってること考えると合わせて1000万以上かかってるでしょう。高卒で働けばこの出費がなくて更に先に働ける4年分の収入が1000万くらいもらえてる。22歳の時点で2千万の差があるよ。 本当にFラン大学行く価値ある???
低年収に限って子供を居酒屋にやパチンコ店へ連れて行ってるケースも多い。 問題は何処に金を使うかだと思うよ。 確かに夏期講習など何十万もかかるけど… 昔と違ってお金借りて大学行けるなんて逆に羨ましいくらいだよ。 子供の頃、同級生は殆どが日銭の商店街で育ちだったけど野球などの部活やってたけどな。 夏休みも冬休みも旅行と言えばおばあちゃんや親戚の家とかね。 今は確かに贅沢だと思うよ。 格差だなんてマスコミが付けた言葉を鵜呑みにセスオトナになってからの楽しみも取っておかなきゃね。
Fラン大学を行くメリットってとりあえず「大学卒」という肩書きが付く。それとその学校によっては、資格(教員免許や資格試験の免除など)が取れる。実際、に初任給で大卒、高卒での格差もあるし、企業によっては、大卒必須とか何かしらの資格が必須などの条件もある。だけど大学は、本来、自ら研究したり専門知識を学びたいから行くべき所なのに何故か大卒を企業が欲しがるのも問題。
小難しい話じゃなくて、Fランしか行けない人物が高卒で働いた場合と大学出て働いた場合とで就職は高卒の方が良い場合が普通であり、生涯所得を考えても高卒の方がいい場合が多いことを知っておいた方がいい。例えば高卒の公務員などは大学受けても日東駒専が行けるかどうかくらいのDランレベルだが、高卒で公務員になれればその後大卒並み待遇を受けられる可能性がある。Fラン行ってはっきり言って老後の経済支援のためにやっている教授の講義受けても全く役立たない。有名大学行ける層とは話が違う。このクラスはサバイバル能力が大事。メリデメをよく考えるべきだ。
> 現状では、高等教育(少なくとも現役進学)は親の援助が受けられる人を前提としているように見える。 たしかにその傾向はありますが、「前提」は言い過ぎでしょう。 地方国公立くらいなら、塾に通わず公立の高校から現役で進学できる確率は高いです。もちろん、本人のやる気と努力が必要ではありますが。 F ラン大学は存在そのものが贅沢品だと思っています。 小学校卒業レベルの学力がない(例えば消費税の計算すらできない)のに「大学卒」という学歴が欲しくて日本人学生と、簡単に取得できる留学ビザが欲しいだけのアジア人学生で溢れかえっています(留学生はすぐに来なくなりますが)。 そんな大学は地方自治体職員の天下り先になっていますので、どんなに存在意義がなくても経営状況が悪くても、ゾンビのように生き続けます。潰れそうな地方のF ラン大学が、県立大学に姿を変えるのはそういうわけです。
どうせいつかはお金かけて再教育しないと行けないなら義務教育段階で落ちこぼれないようにお金かけて教育すればいいと思う。クラスをもっと少人数にしていいと思うし完全習得制みたいなことも導入出来る。学校内に補習塾を作ることもできるだろう。そのほうが無駄がない分コストも抑えられると思う。結局のところ膨大な資金が家計から教育に使われているんだからいっそのこと税金で全部やってしまえばいいと思うよ。
児童養護施設出身者は国公立レベルの大学行ったら生活保護ってのは良いと思うけどな。 そうでもしないと負のループから抜け出せないと思う。 そういう人達は自己責任でも何でもないと思うけど、どうしてそこまで風当たりが強いんだろうね。
引用: https://news.yahoo.co.jp/articles/ac06b87a4dd0d39d272987eb5e48b7517ac08332
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