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自転車で世界一周、空腹で頭に浮かぶのは牛丼 旅の支えは人の優しさ

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広島市安佐南区出身の友竹亮介さん(37)=神奈川県在住=が今春、自転車で世界一周する夢を成し遂げた。5月中旬、帰国後初めての「旅の報告会」を故郷で開いた。 友竹さんの最初の旅は2018年5月~19年12月で、中国・上海からユーラシア大陸を横断し、アフリカ大陸の喜望峰まで約2万6千キロを走った。だが、コロナ禍で旅を中断したため、今回改めて24年4月7日に北米アラスカのアンカレジを出発し、南米最南端のウシュアイアに25年3月29日に到達、約1万8千キロを1年かけて走破した。 会場は、友竹さんが通った安佐南区の市立中筋小学校の校区にある東野公民館の体育館。旅の友である自転車や野宿のためのテントも持ち込み、子どもから高齢者まで約100人を前に、友竹さんは語り始めた。「走行距離は全部で4万4千キロ。計37カ国を巡りました」 スライドを映し出しながら、今回の北米・南米の旅を紹介。最低気温はマイナス20度、最高気温は47度を体験。クマに何度も遭遇し、カナダではオーロラに出会った。アンデス山脈では高山病で頭痛に悩まされ、アタカマ砂漠では道が未舗装だったため自転車を1日30キロ押し、ウユニ塩湖ではパンクに苦しめられた。 ドル高や物価高で外食は控え、パスタやクスクスを多く食べる一方で各地のおいしい料理も知った。自転車をこいでいるとき何を考えていたかと振り返ると、「基本的には食べ物のこと。いつも空腹だから。頭に浮かぶのは牛丼でした」。 旅で学んだことは多くあった。国内で野宿の予行演習をしても不安で寝付けなかったが、慣れることで不安を乗り切れたという。「経験が経験を呼んで、一つの大きな旅を終えることができた」 最後に友竹さんが強調したのは、人の優しさだった。一本道が山火事で通れなくなったとき、迂回(うかい)路の交差点まで400キロ戻るのにトラックで運んでくれた夫婦。ガソリンスタンドで偶然知り合い、家に泊めてくれた家族……。優しい人は恐らく優しさを受け取っている人たち。「深い優しさをまとう人は、たくさんの優しさを受け取る」 会場を訪れた人たちにそんな言葉を贈った。

コメント 10件

こういうチャレンジをする人を見て、どっちが偉いとかそんなこと置いといて素直におめでとう、すごいなって気持ちをもてる人間になりたいよね。 小学生にはいい意味で刺激的な話になったんじゃないのかな。世界には美しいものや感動が溢れてるよと子どもたちをキラキラした気持ちにさせることも絶対に必要。表裏一体の恐ろしさを伝えることも大事だけども。

高校の先輩が卒業したら、自転車で日本一周すると言う。 卒業生の多くが就職か進学でしたが、就職も進学もせず自分のやりたい事をしたいと言う。 その後の消息は不明ですが今どうしているのだろう? 私自身、高校から山登りを始め、バイトも経験して自然の美しさ厳しさ、労働の対価としてお金の大事な事等を学んだ。 若い時にしか出来ない経験は沢山あります。 若い時に冒険するのは良い事だと思う。

海外だと大学を卒業して就職せずに放浪したり、異国の地でバイトをする人たちが大勢います。それに対して日本は大学を卒業したら就職しないとレールを外れることになります。だから日本では柔軟な発想は生まれず、閉塞感だけの社会が生まれます。 大学を卒業して会社勤めをした人と、37歳まで海外を放浪した人では、どちらが経験値は上でしょうか。 やり直しの出来ない社会だからこそ日本は経済成長しないのだと思いますね

私の友人も1980年代に自転車で世界を回ってきました。 彼はパナマからコロンビアに抜ける道は当時はなくパナマのジャングルを 現地の南北戦争の特に逃げてきた黒人の子孫をガイドに雇い、小舟に自転車を 積んだり、ジャングルを押してコロンビアに抜けたと言っていました。 当時、南米から北米大陸を縦断するテレビ番組でドロンズはその間は 船で渡りました。当時はまだ非常にマイナーであまりそのルートを いく自転車はいなかったと言ってました。 最近南米大陸からアメリアに行く不法移民は同じルートを歩いて パナマに抜けると報道番組で見ました。メジャーなルートになって いるんでしょうね。

中米のダリエン地峡など、治安や環境が危険な難所が沢山あり、冒険の旅だっただろう。お金も掛かっただろうし、まぁ世界一周はトライする人は多いだろうけれど、偉業を達成したと思う。賞賛したい

この旅で学んだというのが 人は1人では生きていけないということだろう。 皆んなに支えられた事を感謝して どう社会に還元していくか この方の力が試されるのは これからだと思う。とにかく 今回の旅が無駄にならないことを祈る

こういう旅をしている人は実は結構いて昔からブログとかで見るのが好きだったのだけど、今だと世界情勢の不安定で通行ルートに制限が多かったり円安に物価高で昔よりもハードルは随分高くなったんだろうなと思う

小さい頃初めて自転車を手に入れた時はどこへでも行けると思ったなぁ テント積んで自転車一人旅や友達とツーリングした それが世界一周なんだからねぇ 楽しい思い出になったんだろうね お疲れ様でした

こういうことできるの素直にすごいと思う。 興味はあるけど、仕事を失うことや道中の危険を考えると私にはできない。 しかし私の人生では決して経験できないことをこの方は経験したんだろうな。うらやましいです。

歴史好きだった自分は高校時代、中国に無性に行きたくなった、ただ、自分で稼いだ金で。それから朝は新聞配達、学校終わって、夕方からは工場勤務のwワーク。卒業前には貯金100万を達成。1人卒業式の日、極寒の万里の長城は静かに佇んで祝ってくれた。その後、留学を経て、現地で商売もしたが、最初の旅行が自分の原点。今から約40年前の話。

引用: https://news.yahoo.co.jp/articles/55d70cfacb0fe815f0bcbec05b43c2ee5bf6d78a

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