確定死刑囚が収容されている大阪拘置所で2021年、執行当日の朝に連れ出される死刑囚の様子を目撃したという元収容者の男性が、このほど京都新聞社の取材に応じた。死刑囚と隣り合わせの房で生活した経験や、当日の緊迫した拘置所内の様子を証言した。 ■周囲と異なる扱い、確定死刑囚と気付いた 大阪府の男性(36)。傷害致死罪などで起訴され、大阪拘置所に5年半勾留された。一貫して無罪を訴えて昨年夏に保釈が認められ、昨年11月、大阪高裁で逆転無罪が言い渡された(大阪高検が上告中)。 大阪拘置所では独房(単独室)に収容され続けた。他の収容者との会話は許されず、周囲に誰がいるかも知らされなかった。しかし長く過ごすうちに、血圧や体重の測定が頻繁にあるなど、異なる扱いを受けている人がおり、確定死刑囚だと気付いたという。 ■黒い幕が張られ、刑務官は怒鳴った 男性の日記によると、異変が起きたのは21年12月21日。午前7時半に起床のチャイムが鳴ったが、毎朝の点呼が始まらずやけに静かだった。けげんに思っていると、いきなり廊下から階段につながるドアが開き、大勢の刑務官の靴音が所内に響いた。 扉の窓から廊下をのぞくと、三つの房で扉の窓に黒い幕が張られ、扉の前に刑務官が立った。いずれも確定死刑囚が収容されているとみられる房だ。男性の房は幕が張られなかったが「何もないから。着座位置に座れ」と刑務官に怒鳴られた。照明が薄暗くなり、幕を張られた房の収容者が興奮したのか、刑務官を呼ぶボタンを何度も押し、廊下で赤いランプがこうこうと光った。 廊下の奥から、黒いジャンパーに青いスリッパ姿の男性収容者が、7人ほどの刑務官に囲まれて歩いてきた。肩を小さく丸めながら通り過ぎる収容者と、「目が合ったような気がした。がっくりしているように見えた」 ■「おそろしいとこや、ここは」 一団が階段の方に去った後、「配食準備」の声がかかり、朝食の用意が始まった。最初に異変を感じてから5分ほどの出来事だった。昼前には、確定死刑囚とみられる収容者の1人が「睡眠薬をくれ。あんなことがあったら眠れない」と訴える声が響いた。「あんなんするって聞かされてなかった。ごめんな」となだめる刑務官の声が聞こえてきた。 夕方、法務省が3人の死刑執行を発表したことを伝えるニュースがラジオで流れた。うち1人が、兵庫県加古川市の7人刺殺事件で死刑が確定し、大阪拘置所に収容されていた藤城康孝元死刑囚=執行当時(65)=だった。朝に目にした収容者と思われる名前を初めて知った。「おそろしいとこや、ここは。絞首されてる時に、俺らは何も知らんと、のんきにメシを食ってる」「通り過ぎる光景が忘れられへん」。男性は翌日の日記にこう記した。
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昨日、ある殺人事件の記事を読んだ。 被害者の女性は生き埋めにされる前に犯人に「殺さないで。お願い」と命乞いをしたが、結局聞き入れられずに埋められて殺害されたという事件。 この事件の被害者は、家族や友人などに別れ告げることなど到底できなかった。 それどころか、自分の死すら覚悟をもって迎えられなかったはずだ。 被害者女性の絶望感と窒息死するまでの苦痛を想像するだに慄然とせざるを得ない。 さぞ怖ろしく無念だっただろう。 多くの殺人事件では、被害者は絶命するまでにさまざまなチャンスを理不尽に突然強奪され、無念さや絶望感を無慈悲に唐突に与えられる。 加害者の死刑囚に「死に向き合う機会を与えることが望ましい」という古川原教授には下記のように言いたい。 「死刑囚は、刑が確定してから執行されるまでの全ての時間を死に向き合うことに費やせるはず。毎日毎日、毎時間、毎秒毎秒。それで十分なのでは?」
非人間的な扱いと言われても、なぜか心が動く事はなく同情の感情が湧かない。 それは他人を非人間的かつ自分勝手に扱った過去が有るからと思う。 亡くなされた人は家族に『さよなら』なんて言えなかっただろうし、犯人は非人間的過ぎるからとその時、情も掛けなかっただろう、自分勝手な理由で実行した。 その経緯があるから同情、出来ないんだと感じた。
死刑って残酷なように思えますが、この死刑囚は7人も刺殺したんですよね。罪の重さを考えると同情はできないです。でも死刑を執行しなくてはいけない刑務官の重責は相当なものだと思います。
死にたかった人なんているわけがないのに…理不尽に殺された人の人権は軽んじて、死刑囚の人権を考えろと言う人の気が知れない。 罪が確定するまで長い時間がかかり、確定しても死刑までに長い時間があり、その間にたくさんの時間がある、殺された人にはその時間さえないし、夢や大切な人との別れさえ叶わない。 死刑囚になるとは、人として1番してはいけない事をしたからでは?
死刑は、重大な犯罪に対する報いです。それなのに、もし安楽死のように、何の苦痛もなく、命を終えることができるのであれば、それは刑としての役割を果たしていると言えるでしょうか。 被害者が受けた痛みや苦しみを考えれば、加害者が安らかに死を迎えることに、納得できる人は少ないはずです。 死刑には、罪に見合う厳しさが求められるべきであって、単なる生命の停止ではなく、応報としての側面があって然るべきだろうと思います。
何で死刑囚は お別れの時間も無いとか 死刑は酷い残酷と言われるんでしょうかね。死刑囚は殺人など重罪を犯した人達。被害者は家族に別れを告げる事も許されず ある日突然命を奪われた。これ程残酷な事は無い。世界は死刑廃止に動いてると言うが 日本は今のまま 死刑制度は存続した方がいい。更には 確定後6ヶ月以内に執行して欲しい。
死刑囚がやったことに比べれば、そんなのなんてことないですよ。 この元収容者という人も、ごく一般人が大変な場に居合わせたような口ぶりで言っているけれども、この人はそこに収容されるだけのことをしたからそこにいたわけです。この人の陰でどれだけの人が泣いていることか。 少なくとも日本では事故など悪意のない行為をしたことで死刑になることはありません。 死刑囚に対して差別的な扱いはすべきではないし許されないけど、死刑判決が確定してから執行されるまでの死刑囚であるが故の苦痛は仕方ありません。
亡くなられた被害者の心情とご遺族の心中を察すると、死刑囚にはそれ以上の時が死刑執行の直前にあって当然だと思います。死をもってしか償えないような残酷な行為を行っておきながら人権を持ち出すのは利己的で卑怯なことと思います。
日本に於いて死刑判決を下される事は相当な犯罪行為を行ったという事なので、人道云々を語るなら本来なら速やかな刑の執行を行わなければいけないと思う。 刑の執行を遅らせ、受刑者を狂わせるくらい反省を促すというなら、人道には反するが分からないでも無い扱いだと思う。
殺された被害者やその家族、友人、知人の気持ちを考えたら、殺人犯の勝手な言い分のようにも聞こえます。罪をあがなうとはそう言う環境の中で反省することではないでしょうか。快適な生活環境下であれば反省するでしょうか? 人権派の弁護士等々の方々は、犯人の人権を問う前に無念に殺害された被害者と被害者を取り巻く人々の気持ちや人権を擁護すべきです。
引用: https://news.yahoo.co.jp/articles/e34de329598561019ff4724c74cfe448f60daa6e
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